いつかのはなし

観劇日記

ナイコン12人(配信)

昨日すべりこみでナイコン12人配信をみました。12人の怒れる男、タイトルは知っていたけど物語は初見だったのですが、観客は無罪を主張する側に感情移入するように作られているなあと感じつつ、結果的に、やっぱり彼は無罪だ!と思えるし、あれ、本当にこれ無罪で良かったの?と疑問も抱いてしまうような議論の展開の仕方が秀逸だなあと思ったし、恐ろしいなあと思った。

長江さんに関してはイレギュラーな形での出演だったけど、臆せず重要なポジションを全うされていた。そういえば、1号は進行役だからか物語中でほとんど有罪無罪に関する意見を主張しない。と思えば、遠回しに8号を鼓舞するように、8号に自分の経験を語り出す。難しい役だなあと思った。いちばん腹の底が見えない感じがあった。余談ですが、年上の大人たちに振り回されながら真面目に場を取り仕切ろうとする長江さんはなんだかとても既視感がありました(笑)あと村田さんのお芝居久しぶりに観れて嬉しかったな〜。

気力があれば他のバージョンも見てみたかった。本家も見たいな。クラウドファンディング参加してきます。

20200206

 

‪昨年3月に観劇した舞台のカーテンコールで、ある俳優さんが「舞台はとりこぼした日常を拾い集めるようなもの」*1というようなことを仰っていた。当時の私にとって舞台は非日常体験をする場所であり、観劇は現実逃避でもあったのでピンとこなくて、でもとても印象に残った言葉だった‬。

昨日その言葉をふと思い出した。この1年、自分の価値観や日常生活とリンクする舞台をよく観たせいか、今はその感覚が少し理解できるなあと思った。観る側ではなく演じる側として発した言葉だったのかもしれないし、意図する通りに理解できてはいないだろうけど。

現実逃避した先で遭遇した自分の日常は、たいてい今まで思考や言語化を無意識のうちに避けてきたことばかりで(それがどうしても目についてしまうというだけかもしれない)、きっと今までの自分だったら他人事として眺めていたであろう舞台を自分事として眺めてしまうことも増えて、その度にちょっと憂鬱な気持ちになったりする。でも、その舞台が与えてくれたきっかけと気付きが、面白い演劇体験の記憶と共にちゃんと自分の財産になっていると思う。

‪結局何が言いたいのか自分でもよく分からなくなってきたけど、舞台=非日常ばかりではなく、舞台=日常の一部となったことが、私の中で大きな変化だったのでは?と考えはじめたら長くなってしまった…というだけでした。今年はどんな舞台との出会いがあるのかなあ。

 

*1:一言一句正確ではない

舞台「BIRTHDAY」を観て

 

自分は大勢の中からたった1人選ばれた命なんだ、それだけで意味があることなんだ、と気付けた。たくさんの想いを背負って生きているということを自覚した。同時にその想いの重さを感じてしんどくなった。肯定も否定も全部ひっくるめて、愛なんだろうなあ、愛って重いなあと、BIRTHDAYのことをぼんやり思い返している。

どんなに自分を卑下しても、周りがそんなことないよと否定してくれる。あなたはそのままで生きていけばいいんだよと肯定してくれる。そんな優しい人たちが周りにいることはそれだけでとても幸福なことだけれど、最後に自分を肯定してあげなきゃいけないのは自分自身であって、許せない、嫌いな自分を受け入れて、自分の力で一歩足を踏み出さなきゃいけない。これって私にとってはすごく難しいことで、これができる人は強い人だな、と思う。

存在感が薄く、いつも誰かにくっついて、じっとその場にいたイチ。私も集団を先導するようなタイプではなく、集団の中で積極的に発言することが苦手で、秀でたところはないと感じている人間なので、彼に感情移入してしまうことが多かった。

でも、おどおどしながらも、たまに勇気を出して発言するイチの言葉はとても真っ直ぐで、彼は最初からずっと、しっかりと自分を持っていた。(これは、なんとなく宮河さん自身にも感じているところでもある)

残り3人になった時、残り2人になった時、最後の1人になった時。想いを託された分だけ、イチの存在感はどんどん鮮やかになっていく。BIRTHDAYは宮河さんの役者人生の始まりを祝福する物語でもあった。 宮河さんと、この作品で演出家としての始まりを迎えた平野さん。おふたりがこの先どのような役者、演出家になっていくのかとても楽しみになった作品でした。